憎しみと忌避と悲しみのつながりについて
みなさんこんにちは🤗
前回は愛と欲望と喜びのつながりについて、中世の哲学者トマス・アクィナスの考えをシェアさせて頂きましたが、
今回は、憎しみと忌避と悲しみのつながりについてお伝えしたいと思います。

私たちは憎しみ(嫌いという広い意味)を抱くと、その嫌いなものを避けようとする場合”忌避(きひ)“の感情が生まれてきます。
この嫌いなものとは、何らかのものや人や事態のことですね。
でも結局避けることができずに、嫌なものと関わらざるを得ない場合に“悲しみ”が生まれることになります。
嫌いなものから離れたいという思いが忌避の感情となりますので、これは未来に向けた感情ですね。
避けることができずに嫌なものと関わることになった現在の状態が、悲しみということになります。
もちろん、嫌いなものから離れることができたことで喜びの感情が生じることもありますし、好きなものを得ようとしたが得られずに悲しみが生じるということもあります。
私たちの日常は悲喜こもごもと言えるかもしれませんが、感情は私たちひとり一人の主観的なものであるわけですから、何をもって「嫌なもの」と感じるかも人によって違いますよね。
同じ人に対してもAさんからすると好きな人であり、Bさんからすると嫌いな人ということはよくあると思います。
そのため、自分の捉え方、受け止め方によって善いものとなるか、悪いものとなるかの違いが生じてくると言えそうです。
ポジティブに考えるとは、例え避けたくなるような事態が起きたり、悲しい結果が生じたりした場合でも、その中に自分にとって何か善いものを見出そうとすることなのかもしれません。
ただ、難しいことではあると思います。
例えばある人の言動に傷ついた、という場合に肯定的な意味を見出すというのは大変ですよね。
どうして自分は傷ついたのか、ということを深く観察したり、人を傷つけるような言動を取る相手の肉体的、精神的な状況に思いをはせたり、ということができるならば、それは自分の成長を促す体験ということがいえるかもしれませんが、そうできる時もあれば、できない時もあるでしょう。
トマス・アクィナスの感情の分類は、自分が今どのような状態であるのかを客観的に観るために役立てることができると思います。
参考書籍:『世界は善に満ちている トマス・アクィナス哲学講義』山本芳久著 新潮選書
